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京都地方裁判所 昭和45年(わ)1520号 判決 1972年1月26日

被告人 松田みゆき

昭一一・二・一五生 無職

主文

被告人を懲役壱年六月に処する。

この裁判が確定した日から弐年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、郷里の山形県東田川郡羽衣町立手向中学校を卒業後、夏季は出羽三山神社に巫女として勤め、冬季は同県鶴岡市内の富塚季雄方に女中として働くなどし、その後右神社の勤めを辞めて、同市内のクリーニング店に通勤するようになつたが、昭和四二年五月ころ、前記富塚の妻から、松田拓との縁談をもちかけられ、同人が、同年四月ころ先妻と死別し、その間に生まれた長男克則(昭和三七年七月二四日生)、次男享(昭和三九年一〇月二六日生)の二児を抱え困惑している事情を承知のうえ、同年八月一〇日ころ同人と結婚の式を挙げ入籍も済ませて、肩書住居で夫らと生活を共にするようになつた。そして、右二児とも一緒に暮しているうちに、同児らは次第に被告人に懐き、被告人もまた実子に対するような気持でその養育にあたつていた。

ところで、夫拓は二児に対しては、従来から厳しくしつける方針であり、被告人に対しても常々その方針に従うように申し向け、殊に次男享は、心身の発育が不順であるうえ病弱であつて、よく理由もなく泣きだす癖があつたので、やがて幼稚園に通わせたいと思つている同児については、その泣き癖等を直すため、被告人としても、時には同児の頬をつねつたり身体を叩いたりなどして、かなり厳しい態度で臨んでいた。

そうこうするうちに、同四三年一〇月三一日ころ、被告人は、妊娠七か月の身で身体の具合が悪く、昼過ぎから床に着いていたが、同日午後五時ころ起きて夕食の用意をしていた際、享が、前記自宅四畳半の間で、また理由もなくめそめそ泣きだしたので、自分の気分の悪さも加わつて腹を立て、「何故そんなに泣いてるの。いくら言つても泣きやまないならぱちつといきますよ。」と申し向け、享の左側頭部を右手拳で三、四回強打して右方によろめかせたうえ、同部屋の隅にあつた茶箪笥の角に同児の右側頭部を打ちつけさせ、さらに、同日午後七時ころ、再び理由もなく泣きだした同児を寝かしつけようとして、前記四畳半の間で、寝間着を着替えさせながら、「何んでそんなに泣くの」と申し向け、両手で同児の両肘をもつて前後三、四回激しくゆさぶり転倒させて、同部屋の敷居に後頭部を強打させ、よつて、同年一一月二日午後五時二〇分ころ、京都市上京区河原町広小路上ル梶井町四六五番地京都府立医科大学附属病院内において、同児を、左頭頂結節部強打等の暴行による脳腫脹、大脳くも膜下出血により死亡させたものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法第二〇五条第一項に該当するが、犯情を考慮して、同法第六六条、第七一条、第六八条第三号により酌量減軽した刑期の範囲内で、被告人を懲役一年六月に処し、情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判が確定した日から二年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文により、全部被告人に負担させる。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の行為は親権者の子に対する懲戒行為であるから、刑法第三五条により違法性を阻却すると主張する。

そこで、まず被告人が、被害者享に対し懲戒権を有していたか否かについて考察するに、諸般の資料を総合すると、被告人は昭和四二年八月ころ松田拓と婚姻をし、享とは継親子の関係にあつたことが明らかであるが、さらに同児との間に養子縁組をした事実は認められないから、法律上親権を行う者に該当しないことが明瞭である。されば、被告人は同児に対し、当然には懲戒権を行使しえないものといわなければならない。しかしながら、被告人は、同児の継母として姻族一親等の関係にあり、しかも、夫拓と結婚して以来、享とも同居し、実際上母親としての立場で、現実に同児を監護教育していたのであるから、これらの事情に照らし合わせれば、被告人は、夫拓より、享に対する親権行使を補助する権限を委託されていたと認めるべきであり、したがつて、同児に対しこれが懲戒権を有していたものと解するのが相当である。

ところで、およそ親権を行う者は、その子の悪癖等を矯正するため殴る、捻るなど適宜の手段方法を用いて、その身体に対し或程度の有形力を行使する等の措置に出ることは、法が親権者に懲戒権を認めた趣旨に鑑みて許されるものと解すべきである。しかし、その手段方法や程度は、その親子の境遇、子の年令、性格、体質、悪癖の種類および態様等個々の具体的事情に依拠して、社会通念上相当と認められる範囲のものでなければならない。

これを本件についてみると、被害者享の性格、体質、悪癖等およびこれに対する被告人の処遇ならびに本件犯行の直接的な動機原因等は、概略判示認定のとおりである。そうだとすると、享がいつものように理由もなくめそめそ泣きだしてやまないからといつて、当時僅か満四歳になつたばかりの身体虚弱児に対し、その悪癖等を矯正するためとはいえ、判示のような部位にその方法および程度の暴行を加えたことが、果して子に対する懲戒権行使の許された範囲にとどまるものと称しうるであろうか。

この点について、医師小片重男作成の鑑定書等関係資料を総合すると、昭和四三年一〇月三一日午後五時ころにおける、被告人の享に対する左側頭部の殴打行為は、大脳右半球脳硬膜下出血および大脳くも膜下出血等を生じさせ、死の結果を招来するに至つた程度の強打であつたことが推認されるのであるから、このような身体虚弱児に対する頭部に加えられた手拳による三、四回にわたる殴打行為は、正当な懲戒権行使としての範囲を逸脱したものと認めるのが相当である。したがつて、被告人の本件行為が刑法上違法性を有することは明白といわなければならない。

弁護人の主張はこれを排斥する。

よつて主文のとおり判決する。

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